高田(新潟県上越市)に行ってきました。
昨年、都内両国で開かれた「瞽女の魅力と広瀬浩二郎の仕事」に参加し、「瞽女文化体験モニターツアー」があることを知ったのが、きっかけでした。
一日目先ずは、高田瞽女ゆかりの天林寺を訪問。
弁財天が瞽女の守り本尊として信仰され、年一回の妙音講には、どんなに遠くからでも必ず出席し、瞽女唄を奉納したと、ご住職から聞きました。
昼食のあとは、「高田瞽女の門付け再現」に参加。
門付けとは、家々を回り挨拶がわりに戸口で短い唄を演奏することです。
高田の瞽女唄を受け継ぐ月岡祐紀子さんが、紺絣に丸がさ、手ぬぐい頬かむり角巻姿で、先頭に立ち、瞽女唄と三味線を奏でながら、周辺を練り歩きました。
わたしたちツアー参加者も、女性は角巻、男性はとんび・マントと呼ばれる防寒具をはおり、雁木の町歩きを体験。
その後、「ごぜミュージアム高田」で月岡さんの瞽女唄を聞きました。
続いては郊外に移動し、茅葺きの古民家「ゆったりの家」のいろり端で瞽女宿ライブです。長岡瞽女唄を継承する横川恵子さんの演奏を聞きました。
これで私は、最後の瞽女と呼ばれた、長岡瞽女の小林ハルさんに直接教えを受けた、萱森直子さんを含め三人の演奏を聞いたことになります。
当然でしょうが、三人三様のごぜ唄でした。
翌日は、地元の方から瞽女さんの思い出話を聞きました。
昔、庄屋さんで瞽女宿をしていたころの話は、とても興味深いものでした。
娯楽のない時代の楽しみで、瞽女さんは大切にされていたとか。
このあとは、復活した地域の小正月の行事です。
五穀豊穣を願い、集落の若者や子どもたちが馬に扮し、馬の跳び跳ねるさまをまねる「馬」という神事を見学。まゆ玉作りも体験しました。
ところで、参加者のなかで特に印象に残ったお二人との交流が嬉しかったです。
瞽女の生き方に深い感銘を受けた画家の斎藤真一は、たくさんの瞽女の絵を残しています。
その斎藤作品を長年にわたり集め、最後には、ゆかりの上越市に寄贈した池田敏章さんとお話ができ感激しました。
また、ベラルーシからの留学生は、来日して2年目。流暢な日本語で会話が弾みました。
広瀬浩二郎さんの教え子でもありました。
やはりその地に足を運び、その空気に触れることは、大事なことだと思います。貴重な二日間でした。
江戸時代から昭和初期まで、三味線を携え農・山村を巡る目の不自由な女性たちの姿は、日本全国で見られたそうです。
瞽女と呼ばれた女旅芸人です。
盲学校も点字もない時代から、多くの盲目の女性が幼くして親元を離れ、瞽女の親方に弟子入りしました。
これは、視覚障害者の自活の原点だったのではと思いました。
特に高田瞽女の文化を保存・発信する会のみなさま、大変お世話になりました。ありがとうございました。