年会費の振込用紙を同封いたしました。 用紙の送付が遅れましてご迷惑をおかけしました。 納入期限は4月末日といたします。 ご理解ご協力 よろしくお願いいたします。
今回は印刷を外注してみました。コート紙ですが、きれいな仕上がりです。
年会費の振込用紙を同封いたしました。 用紙の送付が遅れましてご迷惑をおかけしました。 納入期限は4月末日といたします。 ご理解ご協力 よろしくお願いいたします。
今回は印刷を外注してみました。コート紙ですが、きれいな仕上がりです。
暑さ寒さも彼岸まで、桜の開花が待たれる頃となりました。
さて、私たちが日頃お世話になっているボラセンの担当の方から連絡がありました。
弱視の三人が、「海外旅行に行きたい。初めての所なのでガイドさんを探してほしい。有料でもかまわない」と、相談があったそうです。どのような対応がいいか、おすすめのNPOや旅行会社があったら教えてほしいと。
私は外出中でしたが、移動しながら、まずは、旅好きの知り合いの視覚障害のみなさんに、電話をかけまくりました。仕事中の人もいれば、逆に休日なので、外に出ている人もいます。なかなか1回では、連絡がつきません。ありがたいことに、みなさん折り返してくれました。
私もネットで調べました。
都内でNPO法人「ジャパン・トラベルボランティア・ネットワーク」という団体がありました。
有料ですが、旅行介助ボランティアの紹介業をやっているところのようです。
また各旅行代理店も、例えば、H.I.S.バリアフリートラベルデスク、クラブツーリズム・バリアフリー旅行センターがあります。
また、外務省に頼んで、現地のサポーターを紹介してもらうという手もあるようです。少なくとも言葉、最低限、英語くらいできないと厳しいかもと。
ずいぶんと行動力のある視覚障害者がふえたと思います。
例えば、障害者がそこに連絡さえすれば、さまざまな分野の確実な情報が得られるという所があれば、便利なのにと考えました。
しかし、ある人から、それは、各種取扱説明書の音訳依頼や「読み書き(代読・代筆)」の依頼など、何でもかんでも図書館にやってと言ってくることと同じ。それぞれの対応部署があるはずと。
海外に出かけようというのだから、当事者もある程度のところは、自力でやってみるべきと。さまざまな考え方があります。
でも、障害があっても、行きたい時にいつでも、行きたい所へ、旅立てるようなサポート体制が整っているべきです。
今回のように、音訳とは、直接関係ないことでも、私たちが視覚障害者のサポートをしているということで、さまざまな関連の問合せがあります。改めて、多少の努力をすれば応えられることには、応えたいと思いました。
それにつけても、情報収集に当たっては、やはり人脈が大事だと痛感しました。
この三人の人たちが、よいサポートを得られ楽しい旅ができますことを祈っています。
九州は福岡市内に、福岡市ボランティア連絡協議会(略称 ボラ連)という団体があります。
ボラ連は、ボランティアグループのネットワークで、現在54グループで構成されています。視覚、聴覚、障害者、養護、高齢者部門など活動分野はさまざまです。
ここをまとめているのが、視覚部門の川崎寛子さんです。
このボラ連30周年記念祝賀会が市内のホテルで開かれ、私も出席しました。
会場が博多駅から徒歩圏内。そして福岡空港から博多までは、地下鉄で5分。空港から市街地まで、こんなに近くていいの、という感じです。北九州在住でテキスト化プロジェクトの当初からの貴重なメンバーである大木さん、利用者の韓さんもお誘いしました。
各グループの映像による活動紹介がありました。
また、バリアフリー映画体験や手話ダンスなどもありました。初耳のシャンテもありました。
歌のメロディーにのせて歌詞を朗読する。決して歌うのではなく、詩の内容を伝えるというものです。NHKのアナウンサーだった佐々木さんが、聞かせてくれました。
実にさまざまな活動があるものですね。
それから、冒頭の障害者のミュージックアンサンブル、JOY倶楽部の演奏は、感動しました。
1993年発足以来733公演をこなし、観客動員数が25万人という、れっきとしたプロです。各人が自然体で、自分らしい音楽の表現をしていました。
「コンドルは飛んで行く」は、青い澄み渡った高い空を舞うコンドルが見えるようでした。いつか、ぜひ東京でもと思いました。
全体的にとても暖かみのある楽しい祝賀会でした。
でも準備は、さぞや大変だったことでしょう。
会場での懐かしいみなさんとの再会、そして新しい出会いがありました。私が出席することで、みなさんが喜んでくれるのが、本当にありがたいです。
終了後は、川崎さんたちと食事をしながら、情報交換をしました。
テキスト化にも取り組みたいと心強い声も聞けて嬉しかったです。出張講習会が実現しそうです。
また、ネットワーク設立の前の「全国大会」の時から応援してくれている北九州の松浦さんが訪ねてきてくれて、貴重な楽しい一時が過ごせました。
みなさんそれぞれに頑張っています。
頑張っている素敵なみなさんとお会いすることで、私も元気が出ます。みなさん、お世話になりました。ありがとうございました。
もう何年か前のことになりますが、いつもの通り飯田橋のボラセンで、賑やかに作業をしていると、覗き込む一人の男性がいました。
「図書館に関係しているので、興味があります」と。そして「お隣に熱心な女性館長がいますよ」とも。新宿区立戸山図書館の大城館長のことでした。
早速にご連絡をすると、「お待ちしていました。お話は、聞いています」と。
それ以降、こちらからの各行事へのご案内に対して、館長自ら、または障害者サービス担当の川口さんが都度、参加をして下さっています。
私も何度もお訪ねして、信頼関係を築いてきました。私もあちこち、おじゃましていますが、こういう腰の低いというか、「ボランティアさんあっての図書館です」とおっしゃっる館長は、はっきり言って珍しいです。
そして、こういう熱心な館長のもと、みなさん一丸となっての「営業努力」の結果、利用者からの依頼が増え、代表の南部優子さん率いる「新宿区声の図書館研究会」だけでは、間に合わなくなり、私たち音ボラネットへの協力依頼となったのです。図書館連携プロジェクトとして、2013年度依頼分12タイトルをすべて納品しました。
その後で、顔を合わせての年一回の打合せがありました。
みなさんのおかげで、読みそのものは、ほぼ問題なし、と言っていただきました。処理の仕方で、ばらつきがあるので統一をということで一致しました。
みなさんからの完成品は、音ボラネットの製作品として、新宿区に買ってもらっているという形になっています。
ですから、この図書館連携プロジェクトの事務局でも完成品の質の問題は、最大の関心事となっています。信頼関係が壊れるのは、簡単。築くのは、大変です。
ところでこの頃、図書館職員の対応が丁寧になったとか、親切になったという声が聞こえてきます。更に聞いてみると、そこの図書館が、図書館流通センター(TRC)に業務委託したとか、指定管理になったということが、大きな要因になっているようです。
もちろん、大城館長も川口さんもTRCからの派遣です。
ですから、結果を出すということが、大きなポイントになるのでしょう。だから、頑張るのよという声もあります。
でもそれは、どこの世界であれ、目標を掲げ、結果を出すのは、自然の流れではないでしょうか。努力、工夫をしない所は、どんな分野であれ、結果が出ないのは、当然です。
音訳ボランティアの世界でも、いい意味での競争は、必要かもしれません。
視覚障害の人と美術館に行ったら、何をどう説明するのだろう。長いこと気になっていたことの一つです。上野の東京都美術館(都美館)で、『日本美術院再興100年特別展「世紀の日本画」』が開催されています。
休館日の月曜日に、特別鑑賞会が行われるということで、事務局の猪俣、古屋と参加しました。
都美館と「視覚障害者とつくる美術館鑑賞ワークショップ」とのコラボです。 チラシには、「トーク∞トーク 見える人と見えない人の鑑賞プログラム」とあります。 あくまで作品解説ではなく、対話をしながら、2~3の作品を鑑賞するということです。
横山大観、小林古径、平山郁夫等々、近代日本画の巨匠たちの作品が並びます。
もちろん重要文化財もあります。
ガイドヘルパーや付き添いの家族も含め8人くらいのグループが3つ、それぞれのフロアに分かれいざ、絵の前へ。
視覚障害のナビゲーターとサポーターがリードしていきます。このサポーターというのは、美術館で活動するアートコミュニケーター(とびラー)だそうです。
想像ですが、すぐそばに、東京芸術大学があるので、学芸員というよりは、学生ボランティアではないでしょうか。
さてさて、橋本雅邦の「龍虎図屏風」、大きさを体感するために、屏風の端から端まで歩いてみました。そして見える人が、感じたことを言葉にします。
「波の音が聞こえてきそう」、「いまにも動き出しそう」等々。それに対して、見えない人が「そこはどうなっているの」とか、「どっちを向いているの」とか質問しながら、イメージを膨らませます。その屏風がガラスでおおわれていて、鑑賞する人からは、多少の距離があること、つまり、作品がどういう状態で飾られているのか、わからなかったという人がいました。見える人にとって、当たり前がそうではないことを、再確認しました。
こんな感じで進められるのですが、これだったら、たくさんの人が肩の力を抜いて、参加できると思いました。まずは、コミュニケーションを楽しむ、そして名画に親しむということでしょうか?
仙台から参加の阿部さんが、仙台でも2011年から、鑑賞会を始めたと。
「視覚障害を持つ人が美術館に行く、または来るってどういうこと?」というイメージが世の中には、まだまだあるかもしれませんが、美術館に行きたいなと思った人が、気楽に出かけ、何らかの楽しみをみつけたり、発見や学びを得たりすることが、もっと広く行なわれるようになるといいなあと思います」とも。全く同感です。
もうすぐ春ですし。みんなで外に出ましょう。きっと楽しいこと、見つかりますよ。
目からうろこ、のことがたくさんあった面白いワークショップでした。
いうまでもなく、私たち音訳ボランティアは、視覚障害者をはじめとする読書障害者に、情報を届けるためのお手伝いをしています。ならば、そういった利用者との意思の疎通はとれているか、生の声は聞こえているかといえば、はなはだ疑問です。
自分たちが製作した録音図書が、どんなふうに聞かれているのか、知らない人がいます。私が出かけた先で、等速で聞いている人は、少ないという話をすると、「えーっ!」という反応が返ってきます。
そんなわけで、音訳者よがりにならないためにも一度、徹底して利用者の本音に迫ってみようと、5月24日、日比谷図書文化館でシンポジウムを予定しています。(詳細は、3月末発行の「音ボラネット通信第21号」を参照)
いつものことですが、登壇者探しは苦労します。
少しでもバランスよく、幅広い年代の全国各地の利用者に出ていただくのが、理想ですが、現状難しいことが多々あります。それでも、日本点字図書館の大坪さんにもご協力いただき、お二人推薦していただきましたし、当事務局の川上からも、地元の学生さんの名前があがりました。今日はここ、明日はあそこでと、直接お目にかかってお願いしてきました。
しかし中には、壇上で200名近い参加者を相手に、忌憚のない感想、意見を発表するのを躊躇する方もいます。事実「地元の図書館での三者会議で話すのとは違うので、遠慮します」とか、「お茶でも飲みながら、知り合いとおしゃべりするのは、いいけど・・」と何人もの方から断られました。
そんな中、登壇を決意してくださった勇気ある6人の方々には、敢えていえば、辛辣な感想や意見をとお願いしています。更に司会も、利用者の代表にお願いしました。社会環境の変化に伴い、利用者の読書環境も大きく変化しています。当然、私たちの活動も変化せざるをえない部分があります。
せっかく貴重な時間を使って活動しているわけですから、利用者のみなさんに喜んでもらえる活動ができたらと思います。そしてこのシンポジウムに参加して、また明日から頑張ろうと思ってもらえたら幸いです。
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◆福島県白河市のイベントです。
今年の図書館総合展は、展示会日程の前後を含む1週間を 図書館総合展週間と設定し、さまざまなイベントを企画しています。
図書館総合展週間:2014年11月2日(日)~11月8日(土)
展示会:2014年11月5日(水)~11月7日(金) http://2014.libraryfair.jp/
皆さまのご参加を心よりお待ち申し上げております。
図書館総合展運営委員会 事務局 http://www.libraryfair.jp
衆参の文部科学委員に「著作権法の一部改正を求める要望書」を手渡すべく、いざ衆参の議員会館へ。
弱視者問題研究会の宇野先生と原さん。私たち音ボラネット事務局からは、泉、鶴岡、柳下、藤田の4人。2人ずつ3グループに分かれて参議院議員会館、衆議院の第一と第二会館を回ることに。荷物チェックのあと、受付表を記入。1議員に1枚。全部で60人の文部科学委員です。これがけっけう、やっかい。
更に、受付嬢が各部屋に電話でアポ。その時、受付に立つ私たちの画像も転送されるのです。
ようやく行動開始。最上階の12偕から降りてくることに。全員留守。地元にでも帰っているのでしょうか。留守番の秘書や事務員に資料を渡し、説明を試みるも、「勉強不足で、よくわかりませんが、本人に渡します」で、終わり。
後の二ヶ所を回ったメンバーも同じような状況のようです。それでも熱心に話を聞いてくれるところもなきにしもあらずだったようですが。
事前に直接、議員さんにアポをとっての訪問ではありませんので、仕方ありません。
昨年8月と12月に、日盲連、障害者放送協議会、弱視者問題研究会、全国拡大教材製作協議会のみなさんと文化庁を訪問しました。8月の時点では、ずいぶん熱心に話を聞いてもらえたという印象でしたし、帰り際わざわざ、「藤田さんたちのようなボランティアのみなさんのご苦労がよくわかりました。何とか善処します」と。
12月の再会合に期待を持って臨んだのですが、また、別の担当者が出てきて、のらりくらり。 「これが、お役人だ」とがっかりするやら、腹が立つやら。 「善処」を待っていても、時間の無駄。 そこで今回、政治家に訴えようということになったわけです。
簡単に事が進まないのは、わかりますが、今、目の前に困っている視覚障害者を見捨てるわけにはいかないのです。政治家もお役人も、どうか私たち手弁当で頑張っているボランティアがいなければ、進んでいかない情報保証の現状に、多大なご理解をと、めげずに訴えたいと思います。
降り続く雪の中、アブディンさんの講演会場を後にし一路、都心へ。
パンプス持参の長靴での移動です。視覚障害者支援総合センター理事長の高橋実さんの「第7回塙保己一大賞受賞祝賀会」への出席のためです。
音訳ボランティアのみなさんには、毎年、杉並区内で開かれる視覚障害音楽家たちのコンサートの主催者と言った方が、お分かりかと思います。
「群書類従」の編纂で名高く、あのヘレン・ケラーも人生の目標とした、江戸時代の国学者、塙保己一に因み、埼玉県が平成19年度から定めた賞です。
「塙保己一の精神を受け継ぎ障害がありながらも、不屈の努力を続け、社会的に顕著な活躍をしている人、又はこのような障害者のために様々な貢献をしている人に贈られるものです」(埼玉県のHPより)
因みに前回の受賞者は、私たちの総会にお招きした、静岡県立大学の石川准先生でした。さて、高橋さんへのお祝いはもちろんのこと、発起人のお名前を拝見し、参加者のお顔ぶれを想像して、この世界の新参者である私としては、ぜひ多くのみなさまと交流ができればという思いで、出席しました。
座席表に何か印がついているのは、晴眼者?くらいに思っていましたら、2分間スピーチのメンバーに入っていました。高橋さんの功績など語るべくもありません。若い視覚障害音楽家たちに寄せる高橋さんの思いに感動して、チケットの売りさばき等に協力して、応援している一人にすぎません。
みなさんのスピーチを伺いながら、ああ、やっぱり高橋さんは、すごい人なんだと、改めて思いました。音訳ボランティアだから、音訳だけやっていればいいというのではなく、できることは、何でもというのが、私の思いです。そのためにも、色々な方々に、私たちのことを知っていただくことが、大切。
そして、官だとか、民だとか、大きな福祉施設だとか、草の根のボランティアだとか、あまり気にせず、協力・連携していけたらと、単純頭で思うだけです。
さて先日、せっかくお声をかけていただき準備をしていた集まりに、インフルエンザのために大穴をあけてしまいました。筑波技術大学の長岡先生に直接、お詫びができ、少しホッとしました。また同じ登壇者のお一人だった、日本点字技能師協会理事長の中山さんにも、お声をかけていただき嬉しかったです。
更には、日本ライトハウス情報文化センター館長からも名刺を頂戴し、恐縮しました。その他にもたくさんの方とご挨拶でき、ありがたかったです。
改めて、高橋理事長、おめでとうございます。
朝からの雪のなか、盲目のオモシロスーダン人、アブディンさんの「見えなければ見えてこない日本のおもしろさ」と題した講演会に伺いました。
埼玉県は三芳町の「視覚障害者普及啓発講演会」です。
そもそも昨年の7月に、三芳町役場福祉課の三室さんからの一通のメールが事の発端でした。私たちのような一ボランティア団体のアドバイスを、一つ一つ頷いて聞いてくださり、行政主導で着々と準備を進めてきました。
アブディンさんとは、面識もありませんでしたが、講師として推薦しました。
アブディンさんの「わが盲想」(ポプラ社)を、ぜひ買ってお読みください。
でもやはり、生アブディンさんは、おもしろい。期待を裏切らないユーモア溢れる体験談の数々、楽しみました。
北アフリカに位置するスーダン共和国の首都ハルツームの出身です。 平均最高気温が37℃。5人兄弟の次男で3人が視覚障害。近親結婚の多い地域柄、障害者の3割が視覚障害者だそうです。点字や盲学校の存在も知らず、日本語もわからないまま、19歳で国際視覚障害者援護協会の招きで来日。福井県立盲学校で、点字や鍼灸を学び、現在は東京外国語大学大学院で、博士論文を執筆中だそうです。
第一に点字の習得、そして次にパソコンを勉強して、更に上のレベルに進めた喜びは、大きかったと。青春18切符で、あちこち旅をしたことや、ホームステイ先での経験などが、全部生きている感じがします。明るくてたくましいです。でも、色々ご苦労があったことは、想像にかたくありません。
さて、日本語上達ツールとしては、録音図書とラジオだそうです。控え室でご挨拶したときも、録音図書のお世話になっていますと、おっしゃっていました。好きな作家は、夏目漱石と三浦綾子とか。漱石の魅力は、文体が美しい、人の感情が上手に表現されていると。
日本人の30代の中で、どれほど漱石について語れる人が、いるだろうかと思いました。
そしてアブディンさんが声高に語ったわけではありませんが、障害者の就労問題、根本には、日本人の障害者への真の理解が進んでいないのではと、考えさせられました。降り続く雪のせいで、私たち音ボラネットの事務局をはじめとする県外組は、予定の半分以下になってしまいました。
雪国生まれの私としては、こんなの雪の部類に入らないわよと思いながら、都会の雪は厄介です。
三芳町のみなさま、お世話になりました。
これからもまた、よろしくお願いいたします。