音ボラネット事務局 のすべての投稿

No.264 公共図書館との連携

2010年には、待ちに待った改正著作権法が施行され、公共図書館でも、著者や出版社の許諾なく録音図書が作れるようになりました。録音図書が飛躍的に増えたと思いきや、どうもそうではないらしいのです。
予算不足で、作りたくても作れないという現状があるようです。
このことに関して、音ボラネットの設立当初から、図書館との連携を模索してきた者として、私たちが、希望者を募って製作し、図書館に寄贈すればよいのではと、思いいたりました。
そして最近、3.11にまつわる方言句集「負げねっちゃ」(銀の鈴社刊)を、現地の会員に依頼し、新宿区立戸山図書館に、「司法書士合格指導講座」と同「問題集」(ユーキャン刊)を複数のグループで分担して、千葉県立西部図書館に入れていただきました。
この戸山図書館では、年々利用者からのリクエストが増え、製作が追いつかない状況があるようです。
この図書館には、大変熱心な館長と、障害者サービスの担当者がいらっしゃいます。
以前からさまざま情報交換し、当方の総会やシンポジウムにも参加してくださっています。
連携についても、意見交換してきました。
その流れの中で、録音図書製作の依頼を受けました。ようやく、図書館との連携ということが、
一つの形となってスタートしようとしています。
ところで今回のことも含め、活動の輪が広がる中で、当事務局だけでは、とても対応仕切れないことが、増えてきました。
ありがたいことに、この度も、千葉の松本さん、都内の田中さんの協力の下、都内の南部さんそして、当事務局の泉、藤田が加わって図書館連携プロジェクトが誕生しました。
まずは、録音図書製作者の募集を始めます。(詳細は、今月末発行の会報・音ボラネット通信参照)
図書館からの依頼がきた時に、速やかに着手できるように、製作者は、その都度の募集ではなく、事前登録制にしたいと考えています。
それにつけても、最大の課題は、「読みの質」です。
・公共図書館の蔵書となること。電子図書館「サピエ」にアップされること。
・製作費が支払われること(売買契約となる)
・初の音ボラネットと公共図書館との連携となること。
以上、いささかハードルが高いかもしれませんが、貴重な第一歩です。みなさまのご協力のもと、一冊でも多くの録音図書を利用者に届けられることを、願ってやみません。

No.263 サイトワールド

7回目を迎えた視覚障害者向け総合イベント「サイトワールド2012」が、都内すみだ産業会館で開かれています。
日常サポートから最先端テクノロジーまでの機器や製品の展示、講演会やフォーラム、体験会等々と盛りだくさんです。
全国各地からの視覚障害のみなさんやガイドの方で、毎年、大盛況です。
今年も事務局を中心に10数名が、3か間お手伝いさせていただいています。
展示は3日間同じですが、シンポやセミナー、体験会などは、毎日違います。
その上、同じ時間帯に重なっていますので、選ぶのが、悩ましい。
また、毎回その年の特徴ある企画が楽しみです。
今年は、ロンドンパラリンピックがありましたので、活躍された視覚障害のアスリートのスポーツトークがありました。
柔道100Kg超級の金メダリストの正木健人さんを、見かけましたが、あまりの大きさにびっくり。
初日にNHKのニュースに取り上げられたものですから、「そんなイベントがあるのを知らなかった」とか、「今まで参加したことがない」というみなさんから、「行ってみます」という連絡をいただきました。
テレビの力は大、ですね。
さて、主に視覚障害のみなさんをサポートしている私たち音訳者にとって、更に更に、利用者への理解が深まること、間違いなしです。
私はといえば、懐かしいお顔ぶれや、お世話になっているみなさんにお目にかかれることも楽しみの一つです。

No.262 コンサート

一年が経つのは、早いものです。
「競い合い、助け合うコンサート2012」羽ばたけ視覚障害音楽家たち、が12月1日(土)西荻地域区民センター勤労福祉会館で開かれます。
これに先立ち、実行委員会がありました。会場の下見から始まり、種々、打合せを行いました。
会場が変わったのには、正直また、と思いました。
中央線の荻窪か西荻窪駅、西武新宿線の井荻か上石神井駅からバスになります。
かなり頻繁にバスが出ていますが、参加のみなさまには、少し不便を感じるでしょうか。特に視覚障害の方には、ハードルが高くはならないかと、ちょっと心配です。
1回目の会場だそうで、25回目の今回、原点に帰ってという、高橋理事長のこだわりのようです。
360数席とこじんまりしたところですので、アットホームなコンサートになることでしょう。
コーラス、ソプラノ、フルートとピアノと予定されています。
主催の視覚障害者支援総合センターでは、ベテランの職員の方々が退職されて、新しい人たちが、初の大仕事に挑戦しています。
長く続けていれば、さまざまなことがあります。
人は代われど代わらない理事長の「思い」に敬意を表します。
「生まれてきてよかったという喜びを味わうために、チャンスとチャレンジの場を、確保していかなければならない。
音楽や生活を通して、視覚障害者に対するご理解とお力添えを」という「思い」に賛同し、協力させていただこうと思います。日程の合う方は、ぜひ応援してください。
一般3,000円、学生2,000円、ペアチケット3,500円です。
チケット申し込みは、FAX 03ー3932ー7366 (音ボラネット藤田)まで、よろしくお願いいたします。
コンサートのホームページ→http://www.siencenter.or.jp/ongaku/ongaku24.html

No.261 「マルチメディアDAISYは今」 その2

たくさんの会員のみなさんの他に、一般のお客さま(図書館や社協の職員、編集者等)を、お迎えして開催した「マルチメディアDAISYは今」が、無事終わりました。 中でも東北、とりわけ福島からの参加が多く、とても嬉しく思いました。
昨年の総会の分科会で、マルチメディアDAISYとは、こんなものですよ、と概略的なことを、お見せしました。
今回は2回目、リピーターが多いことを想定して、前回とは違った角度の内容を、考えました。 分業は可能か、音訳者のスキルを役立てることは、できるのか。みなさんと一緒に考えたいと思いました。
蓋を開けてみれば、マルチメディアをほとんど知らない、初めてという参加者が、8割近くでした。
前半は、各登壇者から、それぞれの取り組みを発表していただきました。 体調不良のなか大阪から、利用生徒の保護者の方にも参加していただきました。 ふだん、一堂に会することなどないと思われるみなさんを、お迎えできたことは、手前味噌かもしれませんが、すごいことだと思います。 マルチメディアDAISYの製作や、普及に関しての課題は、たくさんありますが、ひとつ、「分業は可」とということが、みなさんと確認できたことは、大きな成果だったと思います。
調布デイジーの牧野さんのところには、早速参加者からのコンタクトがあったそうです。 後半部分、割合、初歩的な質問や感想が多く寄せられ、意見交換が、できなかったことは、私としても残念ではありました。しかし、参加者のほとんどが疑問を残さず、ある程度、理解して帰って行ったということは、大きいと思います。 それぞれの会で、報告会が開かれるという方が、ほとんどでしたので、また、そこから理解の輪が広がります。嬉しいことです。 視覚障害もそうですが、その他にも「読みたくても読めない子どもたち(大人も)」の存在が、もっともっと知られなくてはいけません。
はからずも、この日の「朝日」の朝刊に、あの、スティーブン・スピルバーグ監督が、「読み書きが困難なディスレクシアと呼ばれる学習障害であり、子ども時代には、いじめられていた」と公表したという記事がありました。 私たちのシンポジウム開催の日に、こういう記事が出たということは、何だか不思議です。 多くの人々に学習障害が正しく理解されるきっかけになることでしょう。
シンポジウムの詳細については、11月下旬発行予定の会報に掲載します。ぜひご覧ください。 参加者のほぼ全員が、「とてもよい企画だった」と感じてくださったこと、ほんとうによかったと思います。 音訳とは直接関係ないという声が、あるかと思いましたが、杞憂でした。 「知らないことは、大きな損害」、「”知る”ことが大切」。 「地元に帰ってまずは、何ができるかを、みんなで考えたい」という声が、多く寄せられています。
こうやって、1回目より2回目、一歩ずつ進んでいくのですね。
みなさま、お疲れさまでした。ありがとうごさいました。

No.260 「マルチメディアDAISYは今」

10月4日のシンポジウムの準備も大詰めを迎え、当日資料の印刷と最終打合せが、終わりました。
前回の総会の分科会で初めて取り上げたテーマでしたが、この度は、一歩踏み込んで、音訳者が、どのように関われるのか、考える機会にしたいと思います。
引き続きIMDプロジェクト(伊藤忠記念財団マルチメディアDAISYプロジェクト)事務局の伊藤さん、佐伯さん、南部さん、和田さんが協力してくれています。
音ボラネット事務局が、全てを取り仕切るには、負担も大きすぎますし、マルチメディアDAISYについての知識の乏しい人もいますので、事務局以外の会員のみなさんに、このような形で、企画・運営と全面的に協力してもらえるのは、とてもありがたいことです。
何か新しいことに挑戦するたびに、事務局の負担が、増えるという現状があります。
今後も、このようなやり方が可能か、模索していきたいと思います。
さて、この度も定員を超える申し込みがありました。さらには、ぜひにという図書館や社協の職員の方、そして編集者等、一般の方からの申し込みもありました。
もちろん、私たちの集まりは、会員のためのものですが、時に応じて、会員限定という枠を外すことも必要だと考えています。
多くの人に、まず、私たちの活動を知ってもらう、更にお互いに理解を深め、連携、協力の道を探ることが大切ではないでしょうか。
さて、今回の登壇者は、本当に一堂に会することなどあるのかと思われるみなさまを、お招きしています。それぞれの立場があり、違って当然ですが、目的は一緒!!
本音の意見や情報交換ができるといいです。
誰かが言っていました。
「ワクワクするメンバーですね」と。
登壇者を含めた、全てのみなさまに、「参加してよかった」と言っていただける会にしたいと思います。

No.259 UD出版研究会

毎回、心待ちにしている出版UD研究会です。
今回は、ゲストスピーカーに、日本IBMの浅川智恵子さんをお迎えし、「情報アクセシビリティの世界から見た書籍のアクセシビリティ」のテーマの下、お話を伺いました。
浅川さんは、数少ないIBM最高技術職である、IBMフェローのお一人です。障害者や高齢者を含むすべての人が、自由に、IT機器を操作できるようにするための技術の開発等に取り組んでいます。
参加者は、いつにも増して、実に多彩です。千葉の松本さん、吉岡さん、当事務局の柳下さんも参加。
更に、6月の長岡京市での「4しょく会」のイベントで、知り合った大阪の春日井さん、京都の小林さんも、わざわざ上京。いつになく心強く嬉しい会でした。
ところで、あの大震災からこの方、ほそぼそとしかし、粘り強く活動を続け、この度、正式に「テキスト化プロジェクト」を立ち上げたものですから、その辺のお話には、とても興味がありました。26文字しかないアルファベットに比べ、日本語の読み上げは難しいとのこと。
アメリカでは、私たちが今、行っているような作業を経て、電子書籍フォーマットに変換すると、ベストセラーが出版翌日には、読めるのだとか。日本語は難しいですね。
マイノリティな視覚障害者だけではなく、高齢者にも「耳で聞く」ということを広げていくということも必要とのお話には、大いに共感しました。
浅川さんたちには、研究を進めていただき、誰でもが速やかに情報が、手に入るような時代を、作ってほしいと思います。それまでは、音訳ボランティアといえど、社会の隙間を埋めるお手伝いは、していきたいと思いました。
さて、浅川さんは、プライベートでも海外に行かれることが、多いそうです。
先日もイタリアに行かれたそうですが、出発前に「地球の歩き方」は、音訳されていないか、電子図書館のサピエを検索。当日、私たちにも画面を見せてくれたのですが、ありません。似たようなものはありましたが、いかんせん、古すぎ。ガイドブックですから、古くては、意味がありません。
ちなみにこの本は、我が家にもあります。バックパッカーで世界一周した愚息も重宝したようです。
A5版?で550ページくらい、毎年改訂版が出されています。言わずもがなですが、写真、地図、イラストがふんだんに使われています。
浅川さんは、「こういうのがあるといいのに、誰か読んでくれないかなあ」と言っていました。
この話を伺って、正直少しホッとしました。浅川さんのような「スーパーレディ」でも、やはり、肉声の音訳を必要とすることもあるんだと、妙に納得したことでした。
今回も、先端のお話、勉強になりました。ありがとうございました。

No.258 楽しい語らい

日中の暑さは、いっこうに引きませんが、流れる雲や風に、微かに秋の気配を感じるようになりました。
そんな中、当事務局の鶴岡さんと、埼玉県立久喜図書館に佐藤聖一さんを訪ねました。
「暑いですねえ」という挨拶に「久喜は、都心より2℃は高いんじゃないかなあ」と佐藤さん。やっぱり、という感じです。
さて、佐藤さんは、図書館司書であり、利用者でもあります。
話が多岐にわたり、なかなか興味深い語らいのひとときとなりました。あっという間に、2時間以上もたっていました。忌憚のない前向きな話が、できるということは、とても楽しいことです。そう思っていましたら、佐藤さんも同じように感じてくださったようで、嬉しくなりました。
この社会状況の中で、福祉関係の予算は、減らされ、どこの図書館でも、今までどおりの録音図書が製作できなくなっているようです。
そんな中、「地元のボランティアからはもちろん、図書館からも断られて困っている。そちらにお願いできないか」という、依頼がきます。それも、単に小説の類いというようなものではなく、ほとんどが専門書です。
私たち音ボラネット事務局はコーディネートの場なので、読み手を探しますが、なかなか厳しい現状もあります。
そういうなかにあって、図書館等で断っているものを、ボランティアが、何でもかんでも、引き受けなければならないのか、私のなかでも、疑問がありました。しかし、あちらでもこちらでも、断られた利用者は、その先どうするのか。ジレンマでもあります。
マンパワーはあっても、私たち音ボラネットにも、限界はあります。
図書館では、今や館長が、何か新しいことを提案すると、「これ以上、仕事を増やさないで」と言われる現状だそうです。
館をあげてと言うつもりもありません。
しかし、そういうなかで、一人でも二人でも、思いを共有できる人たちと、何か連携、協力することは、不可能でしょうか?視覚障害者等の情報環境の確保について、今、何をなすべきかを、考えていかなければなりません。
思うに、全て、”人”できまるのではないでしょうか。
いい人につながっていけたらいいです。
さて、指定管理制度の良し悪しは、簡単に決められるものでは、ありませんし、私は、深いことは、よくわかりませんが、この制度の下、館長以下、実に様々なことに取り組んでいる図書館もあります。
私たち音ボラネットとも友好的に、お付き合いくださっているところです。
でも、大概は、ボランティアを一段低くみているような所があるのは、事実で残念です。
言わせていただくと、図書館の録音図書等は、私たち音訳ボランティアがいなければ、作れない事だと思うのですが。
それやこれやを含め、何かと足かせの多い大きな組織より、私たちのようなフットワークの軽いところが、何か一石投じられないかと、佐藤さんと話ながら思いました。

No.257 全日盲研参加

全日本盲学校教育研究大会 山形大会に参加しました。
「視覚障害教育における専門性の継承とその充実」を目指して、学校や地域での取り組みや研究について、発表、発信する場です。
盲学校や特別支援学校の先生方の集まりです。
私がなぜ、ここに参加するのかと言えば、盲学校等の現状がよくわかる場だということが一つ。
次に、今は学校という枠のなかで、手厚く守られている児童や生徒のみなさんも、やがてそこを出て一人立ちしなければなりません。
その時、それぞれの地域に私たち音訳ボランティアが、いるということを、先生方を通して間接的にでも、伝えたいと思うからです。
また、学校に対しても今、何かお手伝いできることはないかと、探る機会でもあります。
そして今回は、もう一つ目的がありました。いつもは、一人参加なのですが、伊藤忠記念財団の矢部さんをお誘いしたのです。
矢部さんたちは、マルチメディアDAISY図書を製作し、盲学校や特別支援学校等に寄贈しています。
私たちは、音源を提供しています。これを活用してもらうためにも、現場の先生方に、正しく理解してもらうことが必要です。
まだまだ、このマルチメディアDAISYを知らない人が圧倒的多数です。
色んな場を活用して、情報発信していくことが先ずは、大切だと考えます。
前校長会会長の澤田先生、現会長の座間先生、そして主管校の阿部校長先生にも、ご無理を申し上げ、ご配慮いただきました。
交換会の席上、金屏風の前で、矢部さんが、話をさせていただきました。
耳を傾け頷いてくださった多くの先生方に、改めてお礼申し上げます。
さて全体会での講演は、「手学問」の広瀬先生、分科会では、筑波技術大学の長岡先生、元筑波大学の鳥山先生とも、お話ができました。
ところで、これも山形盲の佐藤先生のご紹介で、実現したことです。
山形県立点字図書館にお邪魔をし、館長や担当の高橋さん、音訳ボランティアのみなさんと交流ができました。
音ボラネットの会員のいない山形県の様子が知りたかったので、とても有意義でした。何処も、悩みは同じようです。みなさん、それぞれに頑張っています。ボランティアのお一人、高島さんは、当方の「記録集」をお持ちで、ホームページを見てくださっているとのこと、ありがたいです。
一期一会のことも多いのですが、思いもかけないところで、再会することがあります。そしてそこから、つながっていくことがあって、多少大変なこともありますが、今日もまた、「藤田が行く」なのです。

No.256 開設25周年のお祝い会

社会福祉法人 視覚障害者支援総合センター(高橋実理事長)の開設25周年と高橋さんの81回目のお誕生日が、重なったお祝いの会に、お招きいただきました。
「藤田さんは、どういう関係で?」と出席者から尋ねられました。
見渡せば、みなさん長い間、センターを物心両面で支えてこられた方々ばかりです。
私はといえば、高橋理事長の思い、に賛同し、「競い合い、助け合うコンサート 羽ばたけ視覚障害音楽家たち」を、実行委員の一人として、応援してきただけです。
友人・知人は、もちろんのこと、当音ボラネットの会員のみなさんに協力していただき、チケットの売りさばきに撤してきました。
さて、「大学は出たけれど」「盲学生はどこへ行く」という時代、ご自身も筆舌に尽くせないご苦労をなさって、就職を勝ちとった経験を踏まえ、高橋さんは、学生や若い人たちの支援を続けてこられました。
これほどの情報化社会と言われる時代ですが、視覚障害のみなさんが、自由に選択できるほどの情報があるのでしょうか。
お一人お一人の実力を発揮できる機会には、今もって十分恵まれていない現状ではないでしょうか。
高橋さんは、おん年81歳とのことですが、いつお会いしても背筋をピシッと伸ばし、とても実年齢には、見えません。
後に続くみなさんのためにも、いつまでもお元気でと、お祈りします。ここでも会場のみなさんと、交流を深めることができました。厚労省の矢田さんには、テキスト化のことを、杉並区の副区長の菊池さんには、読み書き支援のことを、それぞれお話しました。
何が何でもというより、いつもダメ元で、先ずは共感の輪を広げようというのが、私流です。
この会があったのが、土曜日でしたが、次の週の水曜日に、区役所の障害者生活支援課の落合さんという方から、お電話をいただきました。
多少、時間がかかるかもしれないが、区として前向きに検討したいと。たいがい行政の担当者とは、名刺交換して、「貴いボランティア、ご苦労様です」とニッコリ言われて、それでおしまいというのが、お決まりのパターンです。
しかし、私は、そんなものだろう、世の中、そんなに簡単なものではないよと、思っています。
でも、たった一人でも、耳を傾けてくれたことは、ありがたいことで、決して無駄ではないと思っている人間です。
なので、このたびの杉並区の対応には、正直びっくりしました。
区民でもない私が、正式に陳情に行ったわけでもないのにと、思ってしまいました。
落合さんが、「区役所には、”3日ルール”というのがあります。できるかできないかは別にしても、3日以内には、返事をしなさいというものです」と、おっしゃっていました。
今まで、代読や代筆のニーズが、あることを知らなかったとおっしゃる障害者生活支援担当の方に、現状を知っていただけただけでも、一歩前進です。
当音ボラネットのホームページを紹介し、できたての「会報」をお送りしました。
今後みなさんに、このことで嬉しい報告ができることを期待したいと思います。

No.255 カルチャーショック

いつもの出版UD研究会への参加です。
しかし、こんなにカルチャーショックを受けたのは、初めてです。
今回は、「ろう児・ろう者にとっての読書」~ろう児をとりまく教育環境~と題して、あらゆる困難のなか、日本初の「日本手話で学ぶろう学校」を創られた玉田さとみさんのお話でした。
全国のろう学校で手話が禁止され、聞こえない音を聞き、聞こえない声を出させる「口話法」での授業が始まったのは、1933年のことです。さらには補聴器の活用を加えた「聴覚口話法」へと変化し、今日にいたっています。
戦争という時代背景のなか、「日本人たるや、日本語を話すべし」という風潮を受けてのことのようです。信じられませんが。
一方、世界のろう教育はというと、手話と書記言語(読み書き)という二つの異なる言語による、バイリンガル教育を行い、学習成果をあげてきました。
やがて、日本では、「手話で学んでいたら、もっと多くのことを知り、もっと勉強ができたはず。今の子どもたちに、同じ思いをさせたくない」と、青年ろう者が、立ち上がり、フリースクールを設立しました。
その後「手話での教育」を望む親たちが、一緒になって学校設立のための運動が始まりました。
ようやく、2008年に品川区内に私立のろう学校「明晴学園」が誕生したのです。
第1言語、つまり母語が「日本手話」、手話には書き言葉がないので、「書記日本語」を使うことになります。しかしこの日本語は、第2言語となるので、「書記日本語」を習得するには、かなりの努力が必要となるとのことです。
「手話」と呼ばれているものに2つあるということも、初めて知りました。
1つは、ろう者の言語である「日本手話」、日本語とは、語順も文法も違う独自の言語です。
もう1つは、「手指日本語(しゅしにほんご)」、日本語の語順に沿って手や指を動かすもの。これは、中途失聴者や難聴者には、有効だが、ろう者には、分かりにくいものだそうです。
聴者が「手話をしている気分」になる手話コーラスなどは、この「手指日本語」とのこと。
「手話」が聞こえない人のためにある言語だとすると、ろう児にとっては、大変迷惑な聴者の遊びというお話には、二の句がつげませんでした。
この玉田さんのお話を通して、改めて「母は強し」の感を深めました。学校設立の筆舌に尽くせぬご苦労を伺い、当音ボラネットの立ち上げの頃のことを、思いだしました。
到底足元にも及びませんが。
さて、この後は明晴学園理事長であり、ろう者演劇界の第一人者である演出家、役者といくつもの顔をお持ちの米内山明宏さんの出番です。
ろう社会のカリスマ的存在として、ろう者の声を発信し続けてきた方です。
「口話法の授業を受けさせられてきて、口話の恩恵は、なかった。卒業して、ろう者の学校を変えようと思った。ろう者には、無理ということを少しでもなくしたい」とおっしゃる。
日本が一番多いと言われ、3300はあるだろう手話サークルは、単語を手話に置き換えるだけ。趣味の会みたいなものと、厳しい指摘もありました。
全ての情報を耳から取り込まなくてはならない視覚障害者と、目から取り込まなくてはならないろう者・ろう児は、真逆の関係です。
しかしだからといって、私たち音訳ボランティアにとって、ろう者・ろう児の読書や教育環境を知ることは、決して無駄ではありません。
ここでも、理解の輪を広げていくことの大切さ。それぞれに関わっている人たちの「○○よがり」に、陥らないためにも、常に当事者のみなさんに教えていただくという謙虚さが大切。そして諦めない勇気が必要と教わりました。
最後に米内山さんが、「雪国」の冒頭部分を「日本手話」で語ってくれました。
流れるような美しい手話でした。