音ボラネット事務局 のすべての投稿

No.234 3、11のシンポジウム

夏は、年々暑くなり、冬もまた、寒さが増しているように感じるのは、私だけでしょうか。

さて、都心の朝の気温が、マイナスを記録したある日のこと。我が家の水道が、突然とまりました。家族が出かける時間帯です。慌てました。前日のお風呂のお湯を、溜めおいているので、トイレ等は、ずいぶん助かりました。これは、我が家だけの状況なのか、いつまで続くのか、不安になりました。8時前のことで、お隣のチャイムを鳴らすのも、気がひけました。では、どこに聞いたらいいのか、わかりません。とりあえず、水道局に電話をしましたが、「営業時間は8時30分から」とテープが流れるだけ。命にかかわるような事態ではありませんが、緊急連絡先くらいは、把握しておくべきだと思いました。結果的に、水道管の凍結によるもので、幸いにも、ほんの1〜2時間の断水でした。ひねれば、水のでるありがたさを、しみじみ感じた出来事でした。

そして、自然に3、11の被災地のことが、思われました。まもなく、あの未曾有の大震災から、一年がたとうとしています。今、現地の方々は、どのような思いを抱え、どのような日常を、送られているのか、マスコミの報道も、格段に減っています。

特に、視覚障害者のみなさんのことは、ほとんど伝わってきません。そんな折り、シンポジウム「東日本大震災 視覚障害者支援のまとめと課題」が、開かれるという情報を、仙台市の佐藤さんが、寄せてくれました。
3月11日(日)10時30分〜16時30分
ホテルメトロポリタン
主催は、日本盲人福祉委員会です。岩手、宮城、福島の被災されたみなさんの声も聞けるようです。

「どんなに想像力を働かせ、わかったつもりでも、実際の困難は、直接お聞きしなければ、気付かなかったり、わからないことばかりです」と佐藤さんも、言っています。今も、そしてこれからも復興の最前線は、仙台でしょう。その仙台での意義ある会に、私もぜひ、参加させていただこうと思います。みなさま、また仙台でお目にかかれたら、嬉しいです。

No.233 発表報告会

念願の「録音(DAISY)資料製作に関する全国基準」の発表報告会が、24日、江戸東京博物館で開かれました。東京は、前日の雪の影響や、寒さの中の風邪等で、欠席者が多いと予想していました。しかし、最終的に450を超える参加者があり、会場は満杯。みなさんの関心の高さが、伺えました。

当音ボラネットの参加者枠が、当初150名でしたが、早々と定員に達し、更に50名の追加枠をいただきました。それでも、60名以上の方には、お断りせざるを得ませんでした。北海道や仙台、長野、名古屋等、遠方からの参加もありました。そんななか、特にいわき市の金野さんや駒ヶ根市の下島さんは、交通機関の遅れで、終了間際の到着になり、本当にお気の毒でした。音訳ボランティアのみなさんの熱意には、いつも頭が下がります。

冒頭、全国視覚障害者情報提供施設協会との協力体制の下、一本化に至らなかった経緯についての報告がありました。残念ではありますが、いたしかたのないこともあります。最終目標は、よりよい録音図書を利用者に届ける、そのための基準書作りだったとの話を伺いました。

この基準書に則ったDAISY資料が、増えることを祈ります。そして、「利用者というのは、視覚障害者だけではないということを、図書館職員もボランティアも知ってほしい」といわれたことが、印象的でした。私たちは長いこと、視覚障害者のための音訳ということで、活動してきました。しかし、これからは、長年培ってきた音訳のスキルを、他の障害者のためにも、生かせるようにならなければと、強く感じました。

尚、基準書は、ずいぶん前から、ダウンロードできますし、質問・解答集もネット上で公開され、こちらもダウンロードできるようになります。ご活用ください。

No.232 あるグループの活動

たまに利用者の方から、直接、音訳の依頼がくることがあります。通常、サピエや公共図書館にないか確認し、なければ、どこかで読まれていないかネットで呼びかけます。しかし、早くなければ情報ではないと言われる今、いつまで待てばいいのか、わからない呼びかけには、いつも悩みます。そして、どこにもなければ、音訳者探しをしなければなりません。

昨日、葛飾区内のある利用者さんから、医学書の依頼がありました。「筋膜マニピュレーション 理論編」です。こういう専門書を読んでいるグループが、全国にいくつかあります。まずは、手っ取り早く、葛飾音訳ボランティアの会の鶴岡さんに、連絡しました。いつも、すごいと思うのは、依頼されたものは、まず断らない。「どんなに難しいものでも、誰かが読まなくてはいけないことだから」と。よほどのことが、ないかぎり引き受けてくれます。今回も、その日の内に、直接電話でやり取りし、翌日には、依頼者と面会し、原本を預かったとか。ほんとうに頭が下がります。鶴岡さんは、当音ボラネットの副代表でもあり、あまり、宣伝するようなことは止めてと、釘をさされています。でも、ぜひ多くの皆さんに知っていただきたいと、改めて、ここでご紹介したいと思います。

過去何年間か、地元の消防署からの生活に密着した情報を、利用者さんに届けてきたのですが、それをまとめて、一枚のCDにしました。それが、「本田消防署からのお知らせ」となり、やがて、東京消防庁本部の目にとまることとなります。大変よくできているということで、原稿の見直しを経て「東京消防庁からのお知らせ」という形になりました。これに対して、感謝状もいただいています。以上のことは、昨年12月発行の会報にも、載せました。このことが、利用者のみなさんに、大変好評で、一人でも多くの仲間に知ってもらいたいと、出版UD研究会のMLからも流れました。あわてて当方のHPにもアップしました。鶴岡さんはじめ、会のみなさんのすごいところは、図書館や社会福祉協議会は、言うに及ばず、さまざまなところと、強い信頼関係を結んでいることです。

また、一方では、常に利用者目線にたって、来るものは拒まずと言う姿勢を貫いていることです。前述の消防署は、おろか、警察署にまで出かけて、利用者のための情報はないか、音訳させてほしいと、掛け合っているのです。文芸書の音訳も、もちろんありです。しかし、こうした正に日々の生活に密着した情報、そして、専門分野の情報が求められているということを、改めて、彼女たちの活動から教えられました。

No.231 新春

瞬く間に、松の内も過ぎましたが、全国のみなさま、どのようなお正月を過ごされたことでしょう。今年も、少しばかりでも、誰かのお役にたてるよう、頑張りたいと思います。どうぞよろしくお願い申し上げます。

さて、昨年暮れに、石巻市の鈴木さんから、クリスマスカードが、届きました。震災前年の2010年12月の駅前の写真が、印刷された一枚のハガキが、同封されていました。ツリーやイルミネーションが明るく輝いていました。今年の12月は、暗い木々が寒々としてたっているだけだそうです。「来年は、またこの明るい灯りが、ともせるようになっていきたいです」と決意が、したためられていました。被災地の多くのみなさまの思いだと受けとめました。2012年が、大いなる復興の年となることを祈ります。

ところで、昨年12月、被災現場を回らせていただいた折りに、大変お世話になった「コ〜プのお家 いしのまき」へは、参加者の有志が、物資等を、お送りしているようです。これも一つのご縁です。これからも決して3、11を忘れることなく、何かお手伝いできればと思います。寒さ厳しい毎日です。みなさま、風邪などにお気をつけください。

No.230 ボラフェス その後

新潟県胎内市の社会福祉協議会を訪ねました。11月の全国ボランティアフェスティバルに参加してくださったみなさんと再会の約束をしていました。私の帰省の日程と広報の収録日が、重なっていたので、楽しみにしてました。

ボラフェス担当者から事前に、参加者の名簿を見せていただいた時は、びっくりしました。私の出身地の新潟県の旧黒川村をはじめとした近隣の町村が合併して、胎内市となりましたが、そこからの参加者名があるではありませんか。旧黒川村という所は、最後の「高田ごぜ」と言われた小林ハルさんが晩年をおくられた盲老人ホームが、ありました。(現在もあります)

でも、村内には、音訳ボランティアはいないと聞いていましたので、どういう人たちが、サポートしているのかと、気になってはいました。隣の旧中条町に「ひわの会」があることを知ったのは、この音ボラネットを立ち上げようと、準備していた頃でした。しかし、連絡先もわからず、そのままになっていました。

ご縁というのは、不思議です。この度のボラフェスがきっかけで、交流ができることになったのです。活動歴は30年、立派な記録集も作られています。ちっともしりませんでした。主に市報を、音訳しています。委託料は、もらっていないということでした。ボラフェス参加者のお一人、忠さんは、お金をもらうなどということを考えたことが、なかったと。本来なら、行政がすべきことを、音訳者が肩代わりしているわけで、委託料は、いただきましょう。全国の状況を踏まえながら、市と話し合いをと、お伝えしました。少しでも、進展があるといいです。

その他には、会員の高齢化に伴う、若手の育成が難しいと悩んでいます。どこも同じような悩みを抱えています。ですから、なおのこと、全国で情報を共有し、共に進んで行くことが、大切だと思います。一つのグループの力は弱くても、大きなネットワークになったとき、利用者のみなさんの生活や読書等の環境を大きく変えていくことができると信じています。車がなければ、どこにも行けないような交通事情の中で頑張っているみなさんから元気をいただきました。

No.229 ボラフェス その後

11月の全国ボランティアフェスティバルで、私たちの分科会に、いち早く足を運んでくださったのが、倉敷市の宮原光夫さんでした。お話をして、大変熱心な方という印象を受けました。嬉しいことに、早速に会員申込みをしてくれました。手話・点字・音訳・ガイド・地域等を含む連合体としての「倉敷ボランティア協会」の代表です。そしてまた、「倉敷アイテイサポートボランティア(視覚障害者のパソコン教室)」の設立者であり、代表もなさっています。これだけではなくさまざまな活動を精力的にこなしていらっしゃるようです。今年は、地元の音訳ボランティアのみなさんから、全国の情報が欲しいとの希望で、私たちのところを選んだとか。

さて、ご本人は、音訳者ではありませんが、地元のグループから、DAISY化への相談を受けました。そしてテープ図書300タイトルをDAISY変換しました。その時、「テープ録音しかできない人は、そのままで、DAISY編集できる人との分業でもいいのか」と質問されたそうです。宮原さんは、「年齢のこともあり、得手不得手もあるので、分業でかまわない」と答えたとか。私も同感です。

更に、倉敷社会福祉協議会に働きかけ、宮原さん自ら講師となり、DAISY図書作成ボランティア養成講習会10回シリーズを3回開催。そして「県内でも、テープからDAISYへの変換ができないサークルがたくさんあるのに、横の繋がりがないので、手がだせません」と。近県のグループでも、お困りのところがあれば、力になりたいと、おっしゃっています。

全国的にみると、音訳技術も録音技術も一律では、ありません。お互いに助け合って、レベルアップしていくことが、大切なことです。音訳はできなくても、宮原さんのようなIT分野に強い男性が、この世界に増えるといいですね。お問い合わせは、当HPへ。

No.228 仙台でのシンポジウム

氷雨降る仙台で、3日「読み書き支援のためのシンポジウム」〜これからの高齢者・障害者への情報支援を考える〜が開かれました。

仙台と東京での協働作業で、スムーズにいかないこともありました。何より、案内チラシが、地元仙台はじめ、配布に協力してくださった各地のみなさんのお手元に、お届けできたのは、わずか3週間前でした。それでも、みなさんのおかげで、無事、開催にこぎつけることができました。「参加人数が、少なく残念!」「もっと多くの人を集める工夫をしてほしい」という声もありました。しかし、ほぼ全員が、「参加してよかった」と、アンケートに応えてくれました。すべての指揮をとってくださった、加藤さんが、「今回の仙台の地での開催が、読み書きの拡がりのための貴重なきっかけと、なることと思います」とおっしゃっていました。次につながる一歩になったと、思います。参加してくださった、仙台市視覚障害者福祉協会の高橋会長も、「私たちからも、発信していかなければ」とおっしゃったそうです。

さて、4日は、「被災の現場に学ぶ」ということで、現地を訪れて、被災の爪痕と変化していく状況を確認し、今後の支援について、学ばせていただきました。石巻では、日和山の一角にある、鹿島御児神社の方や休憩場所を提供してくださった「こーぷのお家 いしのまき」の丹野さんや千葉さんから、被災の様子を直接伺えたことは、大変貴重でした。みなさん前向きに頑張っている姿に感動しました。しかし、ご自身も被災者でありながら、「私はまだ、ましな方」と、都内での、読み書き支援員の講習会やシンポジウムに通ってこられた、鈴木さんは、今、フラッシュバックに苦しんでいます。夜もうなされるそうです。こういう方もいらっしゃいます。

ところで、私はこの度、女川を初めて訪れました。見慣れた石巻市は、一見ずいぶん、きれいに片付いているという印象を受けていました。新しい信号もつきました。しかし、女川は違いました。5階建ての建物の高さまで、津波が襲ってきた所です。復興などとは、無縁の置き去りにされたままの町です。根こそぎ津波に持っていかれてしまった所です。家の土台しかありません。高台に3階建ての仮設住宅がありました。車が、異常に多いことに、気づかされました。車がなければ、生活ができないのです。近くにお店も病院もありません。逆にいうと、車のない人、高齢者、障害者は生活ができないことになります。何よりこの3階建てでは、高齢者は辛いと伺いました。こういうところにも、読み書きの支援を必要としている方がいるかもしれないと思いました。

また、広い仙台平野では、あちこちに水たまりができています。水が、はけないのだとか。米や作物を作るためには、塩水をかぶった土を何回にも分けて、入れ替えないといけない、気の遠くなる話しです。いつの日か、この広い広い大地が、水田や畑地として復活する日はあるのでしょうか。

この日も、全員、参加してよかった。「自分の目と肌で、被災地を感じたことは、とても有意義だった」「報道では見ていても、実際に自分の目で見ることによって、何倍も考えさせられることがあった」等々の声が寄せられました。また、仙台の方からは、「地元でありながら、というより地元であるからこそ、戸惑いがあり、行くことができずにいたが、今回の機会に恵まれ感謝している」と。企画してよかったと思いました。

今回もまた、心を動かし足を運ばなければ、出会えない人、出会えない風景がありました。この度のことに、関わってくださった全てのみなさまに、心からお礼を申し上げます。

No.227 マルチメディアDAISY講演会

調布デイジー(代表 牧野綾さん)主催の「読みたくても読めない君へ〜ディスレクシアや発達障害の子どもへマルチメディアDAISYを〜」に参加しました。中でも岐阜特別支援学校の神山忠先生のお話は、何度伺っても、感動するばかりです。

視覚に障害があるわけでも、知的に遅れがあるわけでもないのに、読み書きに困難を抱え、一番、感受性の強い学齢期に「自分は、勉強ができない子」と認めざるを得ない毎日を過ごしたとのこと。ある時、「たいことばちをもってきて」と書かれたメモを渡され、「鯛、言葉、血をもってきて」と理解して、お使いを果たすことができず、叱られたエピソードを話されました。筆舌では尽くせないご苦労を、なさったようです。

やがて、自衛隊に入隊。隊での様々な連絡や学習は、機密という観点からか、ペーパーレスで口移しのことが多く、また、実践・実習がほとんど。学校時代と違い、極度の緊張を強いられることもなく、伸び伸びできた時代だったとか。やがて、ご自分の経験を生かし、同じような障害を持つ子どもたちに寄り添いたいと、教員免許を取得、現在にいたっていらっしゃいます。全員揃って前進するのもありだが、一人一人の個性を認め、個々の成長を見守りたいと、おっしゃっていました。また、代表の牧野さんの親としての立場のお話も、胸を打ちます。

ディスレクシアとわかるまで、字を読むのが、苦手なお子さんに対して、何度も書き取らせ、宿題も付きっきりで、何時間もかかった。自分が本が好きだったので、子どもにも、何とかしてその楽しさを教えてあげたかったと、話していました。振り返ってお子さんが、「あの時のお母さんは、鬼のようだった」と、言われたそうです。この読めないことへのサポートとして、牧野さんたちは、マルチメディアDAISY教科書を主に、作っています。今、小1の国語の教科書を作っているそうで、何かお手伝いができないかなと思っています。

ところで前回、伊藤忠記念財団の「障害のある子どもたちのための読書サポート講座」のことを書きました。それを読んでくださった方から、嬉しいメールをいただきました。了解を得て、ご紹介いたします。

「発達障害のこと、大変に勉強になりました。来春、古希を迎えますが、放送大学で、心理学を学んでいます。ご本人たちの実体験を読み、とても参考になりました。会の皆さまが、音訳活動を起点として、実は、広く人間の問題、延べては社会問題にも、取り組んでいられることを知り、感心・感動しました」と。

大変ありがたい、身に余るお言葉で、励みになります。このなかに、私たち音訳者が、今後目指すべきことが、示唆されているように感じました。皆さまは、いかがでしょうか。

No.226 「発達障害って何だろう」

(財)伊藤忠記念財団主催の、障害のある子どもたちのための読者サポート講座「発達障害って何だろう」が、都内「こどもの城」で開かれました。ゲストスピーカーは、石川県立明和特別支援学校の河野俊寛先生です。

まず発達障害とは、自閉症、アスペルガー症候群と、その他広汎性発達障害、学習障害、注意欠陥多動性障害のことを指します。平成17年には、発達障害者支援法が、制定されて、こういう人たちに、支援が必要だということが、認められました。ほとんどが単一の障害というより、重なっている部分があります。

更に、平成23年には、障害者基本法の改正があり、障害者の定義に「発達障害」が入りました。しかし、まだまだ世間の認知度は低いと言わざるを得ません。決して知的に遅れがあるわけではありません。読んだり書いたりすること、聞いたり話したりすることに、困難があります。周りに理解者やサポーターがいることが、大切です。そして、叱ることではなく、何をすべきかを、丁寧に伝えて、誉めることが、必要です。学校などで、全否定されることがあります。

「自分なんて」と、否定的経験が積まれていった人を、引き上げることは、かなり難しい。先生も親も、関わり方を変えるとうまくいくことが多いそうです。一人として、まったく同じ症状というのはないようで、正に個別の対応になってくると、サポートをする側も難しいと思いました。でもまず、それぞれに違いがあることを、お互いに認め合うことから、スタートする。そのなかで、私には、何ができるだろうかと、考えたいと思いました。さて、二人の当事者のお話を伺いました。

若い女性は、一つ一つが、パーツで目に飛び込んでくるという話をしてくれました。バス停で、気持ち悪くなるということで、実際に彼女が見ているものを、映像で再現してくれました。時刻表の貼ってある鉄柱の下、塗料が剥がれてボロボロの部分だったり、側溝のフタの網目の部分だけが、見えてくるとしたら、それは、気持ち悪いというのも頷けます。更に、人の顔も、目、口、鼻といった部分で見えてくるとしたら、これも大変です。文字も、おしてしかるべきです。

もう一人の男性は、学校の先生から、漢字を何回も何回も練習しなさいといわれたことがあったそうです。一生懸命、漢字を思い出そうとしている間に、書こうと思っている文章を、忘れてしまうということでした。

手書きが、苦手でも、今は、パソコンなど便利なものが、あるのだから、覚えられない漢字を必死になって練習するなんて、時間の無駄と。そして、興味のあることを伸ばすことが、大切と訴えていました。今回も、たくさんのことに気づかされました。

ところでCSR、企業の社会的責任と言われて、久しいわけですが、今の社会状況のなかにあって、企業のこうした取り組みが、なかなか増えず、逆に縮小の傾向にあるように思います。ですので、なおさら伊藤忠記念財団のこうした貴重な取り組みを、応援していきたいと思いました。

No.225 ボラフェス終了

「第20回全国ボランティアフェスティバルTOKYO」が、穏やかな秋空の下、無事終わりました。全国から参加のみなさんと主催のみなさん、出展等の協力をさせていただいた私たちも含め、みなさま、お疲れさまでした。

さて、当音ボラネットの事務局の中に、ボラフェス担当グループを作り、準備を進めてきました。本当にいろいろありましたが、終わってみれば、また一つ、いい経験ができました。事前申込みが必要で、参加費が3000円。学園祭の乗りを想像していたものですから、どういう人が、何人位来てくれるのか、見当もつきません。どういった内容にすべきか担当メンバーも、頭を悩ませました。

体感型の分科会に決りました。録音体験コーナーと試聴コーナーは好評で、特にマンガは、感心しきり。その他、タカシマヤ通販や、生協のカタログ等の生活情報も聴いていただきました。筑波技術大学の長岡先生の講演、シナノケンシ(株)の山岸さんのお話と続きました。

都内はもちろん、沖縄、岡山、愛媛、長野、新潟等から、社会福祉協議会、出版社、学生、熱心な音訳者のみなさん30人ほど、参加をしてくださいました。アンケートによると、ほぼ全員が満足と回答。特に、利用者であり、音訳の指導者でもある長岡先生のお話に、「目からウロコ」とか、「即、日々の活動にいかしたい」とか、こちらも大変好評でした。

ある学生さんからは、「特に試聴コーナーが、よかった。これからも、福祉の勉強に励みたい」と、メールがきました。また別の学生さんは、「今すぐにでも、音訳を始めたい」と言っていました。ある出版社の方は、マンガ「こち亀」(こちら葛飾区亀有公園前派出所)を絶賛していました。また、新しい出会いがありました。次につながるといいです。

たくさんの分科会の中から、私たちのところを選んで参加してくださったみなさまに、ここで改めて、お礼申し上げます。ありがとうございました。