音ボラネット事務局 のすべての投稿

No.210 HPのリニューアル

この17日から、HPが装いも新たになりました。ネットワークの設立には、HPの開設が急務ではありましたが、いかにせん、当時、事務局にはこの方面にノウハウを持つものがいませんでした。

ほとんどが、子育てが、一段落して音訳の道を志した主婦の集まりでした。何をするのも手探りでした。全国に散らばる会員のみなさんへの情報の発信には、年3回の会報だけでは、追い付かず、最新の情報の共有というには、心許ないものがあります。

そうこうするうちに、事務局の猪俣さんが、きらいではないので、なんとか頑張ってみますと言ってくれました。今は亡き浦口明徳さんからアドバイスをいただき、何とか念願の開設に至ったのは2007年のことでした。素朴で手作り感があって、いいですねと、概ね好評で、ホッとしたものでした。管理をしている彼女の苦労は、大変だったと思います。

その後、事務局からの情報発信だけではなく、全国からの問合せや視覚障害者関連のイベント情報が寄せられるようになりました。おかげさまで、音ボラネットの知名度が上がるにつれ、HPへのアクセスも増えてきました。それに伴い管理人の負担も増えていきます。この間、業者からの引き合いもありましたが、経費がかかるということもあり、見送ったこともありました。

やはり、今はボランティアで協力してくれる人がいればと、考えていた矢先に、適任の人が現れました。このたび、運営委員に加わってくれた佐藤さんです。彼は震災直後のPDFファイルをテキストファイルに変換してという依頼に、いち早く協力してくれた一人でもあります。心強い人材です。トップページも明るくなり、使い勝手もよくなりました。リニューアル後の最初のアクセスが那須塩原市の松木さんからありました。「新しいHP、素晴らしいですね。ずいぶん洗練されて、なかなかですよ」と。いかがでしょうか。 みなさまも感想や情報などお寄せください。

No.209 日点 小野館長訪問

高田馬場の日本点字図書館に小野館長をお訪ねしました。 今年4月から岩上さんの後を継ぎ、初の晴眼者の館長となった方です。ざっくばらんな方で自由な発想の方、というのが、第一印象です。

電子図書館サピエのことや公共図書館との関係など伺いました。 サピエについては、まだまだ発展途上かと思っていましたが、そういう部分とすでに成熟している部分とがあるというお話でした。

「地域・生活情報コーナー」などは、全国からユニークな地域情報が上がってきたら、おもしろいと思いました。 今、このコーナーは、決して有効に使われているとは、思いません。 「各地の点字図書館が、それぞれに情報をあげてくるのは、難しいでしょうね。ほかのことで手一杯ですから」とおっしゃっていました。

夢として、全国(北海道から沖縄まで)に散らばる音ボラネットの会員が、情報を寄せたら、寄せる方も楽しいし、利用するほうもおもしろいのにと、単純に考えました。

また、点字図書館と公共図書館との連携についての質問には、「関西は、わりあいうまくいっていると思います。東京はないですね」と館長。

「どうして東京はうまくいかないのでしょうね」と私。「ここ(日点)があるからですよ」と にっこり、さらりとおっしゃる。 なかなかおもしろい方です。

ところで、名刺を二枚いただきました。もちろん一枚は、日点館長のもの、もう一枚は、全国視覚障害者情報提供施設協会の副理事長の肩書のものです。

全視情協のことも伺いました。 ユニークな発想と自信は、「東の日点」という看板のせいだけでしょうか。長年、この世界で培ってこられたものでしょうか。 世の中には、色んな看板を背負った、さまざまな考えの方がいます。ときには、過激と思われる方もいます。実にさまざまな方にお目にかかれるのが「藤田が行く」の醍醐味です。

しかし、経験も浅く力もない私としては、こういう見方やああいう考えもあるということを承知の上で、さて自分は、バランスよくと思うのですが、簡単ではありません。 事務局の鶴岡と佐藤と三人で伺いました。暦の上では、立秋ですが、暑い盛りの午後のひとときでした。

No.208 義援金、9月末まで募集

世界報道写真展2011(於 東京写真美術館)に行ってきました。「魂に響く写真の力」とあります。少なくとも紛争や飢餓のないこの国に住む私たちには、重すぎる世界の現状です。

ところで、この写真展のなかで「爪痕」と題し、東日本大震災の報道写真を一枚一枚写しだしているコーナーがありました。世界のフォトジャーナリストが撮った「東日本大震災」もあります。改めて今、この写真に残されたことを、私たちは決して忘れてはいけないんだと思いました。

6月中旬に伺った、石巻市の避難所で出会った男性の「これからもボランティアさんに来てもらいたい。俺らのことを忘れないでほしい」という言葉が、耳に蘇りました。決して忘れたわけではないのですが、思いが薄らいでいくような気がしないでもありません。日々、それぞれの生活がありますから、しかたないかもしれません。

しかし、この暑さで、未だ避難所生活を余儀なくされているみなさんは、どうしているだろうかとか、仮設住宅に移ったみなさんはと、何かの折にでも思いを馳せる心の余裕を持ちなさいと、映し出された写真が教えてくれました。

ところで、私たちが、送り先を視覚障害者に限定して募集した義援金は、会報「音ボラネット通信」第13号にご報告のとおり、日本盲人福祉委員会東日本大震災視覚障害者対策本部に寄付させていただきました。ありがたいことに音訳者だけではなく、点訳者や関連のみなさまからもご協力いただきました。

また以前、取材を受けた、のんびる(パルシステム生活協同組合連合会発行)で震災後の私たちの取り組みとして、義援金の募集が掲載されました。 ほんとうにありがたいことに、たぶん音訳とは直接関係のない読者の方からの送金が続いています。そんなことからも、義援金の募集を9月末まで延長させていただきます。

引き続き皆さまのご協力をよろしくお願い申し上げます。尚、義援金の送付先は以下になります。重ねてよろしくお願いします。

郵便振替口座  口座番号  00100−3−280500

加入者名  全国音訳ボランティアネットワーク

*お手数ですが備考欄に 『義援金』と明記してください。

No.207 競い合い、助け合うコンサート2011

今年もまた、9月10日(土)セシオン杉並ホールで、上記のコンサートが開かれます。いつもお越しくださるみなさまに、ご案内のラブレターを書いています。

私がこの実行委員を仰せ付かって、3年目くらいでしょうか。それまで、主催の社会福祉法人視覚障害者支援総合センターの高橋實理事長を、よく存じ上げているというようなことではありませんでした。このコンサートのことを、耳にし、応援できることがあればと、チケットを売りさばくべく、この欄でも、紹介させていただきました。

それに目を止めた、高橋さんの近くの方が、高橋さんに報告なさったことが、きっかけだったと最近、ご本人から伺いました。 「いろいろ書いてくださっていると聞きました」と。 こんな「藤田が行く」ですが、いろいろとご縁が生まれるもので、嬉しいような怖いような思いでいます。

さて今回は、ペアチケットができました。3500円です。「一般が3000円なのに、理事長!安すぎます。バランスを考えてください」と私。「いや、一人でも多くの人に来てほしいのです」と高橋さん。

その他にも、出演者の人選のことなど、私は、チケットを売りさばく立場で、お越しくださるみなさまのことを思い、提案をし意見を申し上げることがあります。

しかし、このコンサートにかける高橋さんの熱い思いには、かないません。視覚障害者の盲学校における職業教育は長い間、鍼、灸、按摩一辺倒だったそうです。ようやく大学受験が、認められるようになり、ほんの僅かでも、職業選択の幅が広がりました。

そんななか、だいぶ前からですが、プロの音楽家も出てきました。2009年、ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで、日本人として初めて優勝した、辻井伸行さんなどは、その最たる方でしょう。これからプロを目指す人も含め、チャンスとチャレンジの場を、そして、このコンサートを通して一人でも多くの人に、視覚障害者へのご理解とご支援をと、訴えているのが、高橋さんです。私は、みなさまのご協力を得ながら、一生懸命応援していきたいと思います。

最後に、毎回参加してくださる方からのお手紙を紹介します。

 「みなさんに一度は、足を運んでもらいたいコンサートです。感動します。特に音訳者にとっては、普段の活動のなお一層の励みになることでしょう」

チケットの申し込みは、藤田FAX03ー3932ー7366へ。よろしくお願い申し上げます。

チラシはこちらからご覧ください。

No.206 講習会の開催

7月2日、3日の両日にわたり、読み書き支援員養成基礎講習会が開かれました。大活字文化普及協会 読書権保障協議会の主催です。品川区の協力により区内の小中一貫校の荏原平塚学園が、会場となりました。締め切り間近に読売新聞に取り上げられたこともあり、定員を大幅に超える申し込みがありました。全国音訳ボランティアネットワークは、この度の事業の数多い後援団体の一つです。

「できることは、何でもやろう」というポリシーのもと、協力しています。会員さんも多数参加していました。誰かのお役に立ちたい、ボランティアを始めたいという声が多数存在する現状を、背景に、男性や若い方も見受けられました。

なかでも、宮城県石巻市の方の「被災地の中でも、恵まれている私も、何かお役にたてることがあればと、参加しました」との声に心打たれました。

当初、私は、この支援員について、少なくとも「読む」ということに関しては、時間やお金をかけて、養成しなくても、声を出すというスキルのある音訳者を活用すべきだと考えておりました。

しかし、私たちの音訳スキルは「明瞭に伝える基礎技術」としては、重要ですが、情報支援としての「読み」は、音訳とは別の技術が必要だということを教わりました。

的確な目の代わりですから、相手が聞き違えずに理解できること。「電話を聞いているだけでみているのと同様に資料が、素早くわかることが目標」と、長年、京都ライトハウスで読み書き支援を行ってきた、加藤俊和さんが、おっしゃっていました。

守秘義務についても、しっかり認識する必要がありますので、「読む」ということに対する、今回のように系統だった講習会が必要だと思いました。初心者も音訳のベテランも関係なく。そして、利用者が安心して、読み書きを依頼できる、支援員にならなければいけないと思いました。

2日間、みっちり勉強させていただきました。参加のみなさんの静かな熱気が伝わってきました。残念ながら、講習会修了後の受け皿があちこちにあるわけではありません。

しかし、受け皿作りが先か、支援員養成が先かという単純な問題ではありません。受け皿ができるまで、待っているわけにはいかない現状もあるわけです。田中章治さんの「安心して頼めるところが、身近にあれば」との声は、正に利用者の切実な願いです。

定員オーバーのためにお断りした方、当日のNHKテレビの放送のおかげで関心を持ってくださった方たちのために、第2弾の開催が、至急検討されています。私のところにも、「この講習会をぜひ、東北でも、やってください」と いう声が寄せられています。

さまざまな地域からの受講者の増加、そして連帯を表明している政治家のみなさんの存在。きっと、図書館や行政も動かざるをえなくなると思います。

私も含め、参加者ひとりひとりが、二日間で得たものを、どんな形であれ、発信していくことも大切ではないでしょうか。

No.205 読書サポート講座

伊藤忠記念財団の主催で「障害のある子どもたちのための読書サポート講座」が、開かれました。

今回は、「わかりやすく伝える技術」というテーマでし。まず、共同通信社の藤田康文さんからは、ご自身が関わっている、年4回発行のみんながわかる新聞「ステージ」のことを、伺いました。読者は「文字によるコミュニケーションが可能な知的障害者」を想定しています。そして「小学校3年生ぐらいがわかる文章」を、めざしているそうですが、子ども扱いはだめ、とのこと。知的障害のある当事者と支援者、そして新聞記者のみなさんで作っています。 一般紙とは違い、特に気をつける点は、難解な言葉、専門用語は、言い換える。回りくどい表現や抽象的、情緒的表現はさける等々です。

最後に、26日の一般紙に掲載された、平泉の世界遺産登録の話題を、参加者が各自まとめることになりました。平泉もついに世界遺産に!東北地方で初めての世界遺産が誕生しました。平安時代に藤原氏が建てた中尊寺などのお寺や庭が、ユネスコから世界遺産として、認められたものです。これらは、仏教の考え方と日本人の自然を大切にするという考えが一緒になって、造られました。今の日本、特に東北地方にとって嬉しいニュースです。

以上、私のまとめたものです。因みに先生からは、最後の部分は、固いと指摘がありました。

さて次は、音声ガイドボランティアグループ シティライツで活動している、武藤歌織さんです。音声ガイドとは、視覚に障害のある人のために、セリフとセリフの間に入れる場面説明だというお話から始まりました。情報を入れすぎると聴く側は疲れるので、ポイントを絞る。「平伏する」などという書き言葉は、分かりづらいので「深くお辞儀をする」というような表現にする。など興味深いお話が続きます。こちらも最後に、実践編が待っていました。

ディズニーアニメの「トムとジェリー」を順番に1分半ほどの場面を担当。ガイドをつけることに。テンポの早い楽しい子ども向けのアニメです。早いテンポに負けない若い人のガイドもおもしろい。私などは、その早さについていけず、意識しているわけではないのに、妙にゆったりしたガイドになり、それもありですね、と慰められて、初体験は、ハラハラドキドキでした。

でも、「わかりやすく伝える」というのは、音訳にも通じることで、少し変わった角度からの勉強になりました。

No.204 石巻訪問その2

亡くなられた方々と行方不明の方々が、約5800人もいらっしゃる石巻市は、東日本大震災の最大の被災地です。18日は、百か日の法要がありました。避難所の方は「ひとつの区切りにしなければ、前に進めないことは、わかっているが割り切れるものではない」とおっしゃっていました。地震と津波によって残されたものは、瓦礫の山、そして大切な肉親や友人や、思い出の品々をなくした、深い悲しみです。

石巻の海辺の地域を見せていただきました。津波の影響を受けた地域と、そうでない地域の差は歴然としています。未だに信号はストップしたまま、警視庁のお巡りさんが、手信号でさばいていました。

車や船は、何か所かに集められているようで、町中に船のある光景は、みられませんでしたが、あとは手付かずの瓦礫の山。凄まじいとしかいいようがありません。私たちは、テレビや新聞等の切り取られた一部しか見ていないと思いました。

19日にビッグバンと遊楽館を訪ねました。大活字本の寄贈には、「こんなに大きな読みやすい本があるのですね」と喜ばれました。私は何か弱視者専用のような錯覚をしておりましたが、高齢者にも、最適だと実感しました。介護を必要とする高齢者の避難所、遊楽館から、寄贈依頼があったのには、なるほどと思いました。話題作や人気作品が主です。

さて、この度は、「高齢者・障害者への情報支援」が主目的で、読み書き支援へのニーズを知りたいということでした。しかしまず、大勢の被災者のいらっしゃる避難所の中で、障害者、特に視覚障害者を捜し出すのは、困難です。今後、仮設住宅等に移られてからの支援が課題かもしれません。やはり、曜日や日にちを決めて定期的に通うことが、一番です。

難しいのは、個々のニーズがあって、全て一律にはいかないということです。結果的に、ボランティアの押し付けになっているようなことがあります。

ある人が言っていました。何にたいしても、ありがとうとしか言えなかった、かつての視覚障害者のような人がたくさんいると。

現場に行かせていただいた感謝の気持ちの一方で、何もできなかった自身の無力さを、かみしめています。

No.203 石巻訪問その1

18日朝、東京から新幹線で仙台に向かいました。仙台駅で「日本盲人福祉委員会」震災対策本部の加藤俊和事務局長、仙台朗読奉仕の会の長久保明美さんと合流しました。長久保さんは、音ボラネットの総会の折、ぜひ地元のみなさんにもご一緒していただきたいと言う私の呼び掛けに答えてくださった方です。

彼女のお薦めで地元の駅弁を買い、レンタカーで移動です。日本三景のひとつ、松島で海を眺めながら、お弁当をいただきました。復活した遊覧船が行き交い、若者がヨットを楽しんでいます。地震とか津波の影響は、初めて訪れた私には、ほとんどわかりません。同じ松島でも、東松島とは、雲泥の差だそうです。

一泊二日で2つの避難所を回るスケジュールです。時間的余裕がありません。しかし、被害の大きかった野蒜地区を、ぜひ通ってほしいという長久保さんの提案があり、立ち寄らせていだだきました。言葉がでません。

瓦礫はだいぶ片付けられ、一ヶ所にまとめられたりしている所もあります。かろうじて土台だけ残っているので、家があった場所だとわかります。かと思うと、遠目に数軒の家が立っています。近づくと中はめちゃめちゃ、津波が家の中を通り抜けたのです。カーテンが風に揺れていました。異様な光景です。ここの住人は、無事だったのでしょうか。

途中にも、片付けられて一見グランドのようにみえる所がありました。集落の跡だそうです。赤茶けた大地にポツポツ緑が見えます。雑草です。高速道路も、あちこち亀裂が入り、段差ができていて、車がボンボン跳ねます。ETC1000円割引が19日までだったこともあり、渋滞していました。大分、佐世保、京都、姫路、大阪あらゆる所からの車です。

18日は、石巻市内で百か日法要が営まれるため、私たちの予定も変わりました。

まず、ビッグバンに向かいました。そして、初日は建物の確認とチラシ配りということになりました。目的地のひとつ河北総合センター(ビッグバン)は400席もある、ホールがあり、毎日のようにイベントが目白押し。例えば掲示板には、各種炊き出し、マグロの解体ショー、歌謡ショー、カットボランティア等々のポスターやチラシが所狭しと貼ってあります。私たちの「復興支援イベント」のチラシも掲示されていました。

こちらには、未だ400人近い方々が、不自由な生活を送っています。事前に責任者の方に伺ったところ、館内はスリッパ等に履き替えなくてもよい、チラシ等は、被災者のみなさんは、ほとんど「部屋」にいるので、入っていって配ってよい、と言われていました。

玄関をはいり、居住区域にスニーカーのまま足を踏み入れようとして、わたしは前に進めなくなりました。足が動かないのです。被災者のみなさんへの想像力を働かせ、心に寄り添わなくては、お話など伺えません。

No.202 事務局

運営委員の公募に手を挙げてくれた新しい3人を迎え、2011年度1回目の運営委員会(例会)を開きました。今まで、各自がそれぞれのグループに所属し、そこでの活動もこなしながら、事務局の運営に関わるのは、想像以上に大変なことでした。 また、親も高齢化し、介護が必要になってきたり、自身も体調を崩すことが、増えたりの中で、活動を続けてきました。

そんな状況もあって、月2回の例会に全員が集まることは皆無で、議事がスムーズに進まないことが出てくるようになりました。設立から5年、全国組織を回していくために、今まで以上に、各自が自覚と責任を持つことが求められています。そのため、例会は月1回のみ、役員会も1回として、全員出席を最低条件にして、活発な討議の場とすることを再確認することからスタートしました。

また、各種の運営をさまざまな形でサポートしてくれる事務局スタッフも揃いました。今後、会報の発行やホーム・ページの管理・運営はますます重要になってきます。その充実のためにも、新しい人たちの斬新なアイディアに期待したいと思います。当初から関わっている私たちも、刺激を受けながら、ますます頑張ります。

ところで、みなさまあっての事務局です。いつもこちらからの発信のみではなく、みなさまからの情報、ご意見・ご提案等もお寄せください。

No.201 読み書き支援員養成講習会

7月2日(土)〜3日(日)にかけて行われる、読み書き(代読・代筆)支援員養成のための基礎講習会には、もう申し込みをなさいましたでしょうか。当ネットワークの過日の総会で、事務局の市橋さんが、出展でチラシを配り、懇親会や分科会でも、熱心に参加を呼び掛けておりました。

結果、すでに申し込みが続いていますが、まだ若干、席に余裕があります。有料ですが、私は、まったくの無料というよりは、こちらの方が学ぶ姿勢が違うように思います。みなさまはそんなことがないかもしれませんが、真剣みが増します。そして、修了証も発行されますが、これも、魅力です。

さて、読み書き支援員といっても、音訳初心者ならいざ知らず、私たち音訳者にとって改めて講習を受けなくても、即戦力になるのにという思いが、正直ありました。しかし、声を出すという基礎、滑舌だとか発声、発音はさておいても、大事なことがあるのです。いわゆる、対面朗読の一種ですが、娯楽や趣味で一冊の小説を読むということとは違います。

私信や役所からのお知らせ、各種チラシや取り扱い説明書等々、正に生活情報そのものです。書かれていることを、すべて読めばいいというものでもありません。 私たちが常日頃、気を使っている母音の無声化や鼻濁音が必ずしも、必要というわけでもなさそうです。高齢者には、聞き取りにくいこともあるようです。

ですから、音訳であって、音訳でない部分もあり、守秘義務のことなども考えると、やはり一度、系統だった講習を受けるべきでしょう。目から鱗の部分があるはずです。

私たちの総会のテーマでもありました「広がりをみせる音訳」、正にそのものではないでしょうか。ぜひ、一緒に学びましょう。