音ボラネット事務局 のすべての投稿

No.52 iPodやケータイで”耳から読書”

7月28日(日)日本教育会館(都内)で日本電子出版協会と出版UD研究会との共催で「iPodやケータイで“耳から読書”〜オーディオブック普及の可能性をさぐる」セミナーがありました。千葉県立中央図書館の松井進さんは自著「Q&A盲導犬」を10媒体によるユニバーサルデザイン出版を試みた方でもあります。

「肉声と合成音声を使用した読書の可能性と今後の普及について」発表がありました。両者ともメリット、デメリットはあって利用者が使いわけていくということだと思いました。

普通のものは2倍速で情報もの(雑誌等)は3倍速で聴いている、という私たちにとっては松井さんのいつもの話も相手によっては「通常の速さのものを作っても意味がないということか」という質問が出ます。

参加者のほとんどは出版、印刷関係の方たちです。こういう方たちに文字から情報を得にくい人たちの情報収集手段のひとつとして「音訳」があるということを知ってほしい。啓発のための催し物等を企画する必要があるのではと感じたところです。

No.51 川島昭恵さん「夏語りの会」

26日(土)、都内葛飾区で全盲の語りべ 川島昭恵さんの「夏語りの会」がありました。「目が見えなくても私は私。目が見えない人だからできる語りではなく、川島昭恵だからできる語りをしたい」(5/29 朝日新聞記事より)との一言にひかれて当ネットワークのスタッフ(鶴岡、島村)と参加しました。

分厚い点字ファイルをひざにおき、指でなぞりながら「語り」が始まりました。あまんきみこや安房直子の作品が澄んだ声に乗って、暑さ疲れの身を、なんだかとてもなつかしいホッとするような世界に連れて行ってくれました。

視覚にかぎらずあらゆる障害者が生き生きと活動できる社会にしていきたいものだとあらためて感じました。

No.50 小泉八雲を原文で音訳

各地で梅雨が明けました。毎日暑い日が続きますが、皆さまお元気でしょうか。閉め切った、クーラーもつけない部屋で、滝のような汗をものともせず、マイクに向かう姿・・・。ほんとうにお疲れ様です。お互い身体を労わりながらがんばりましょう。ここで、夏らしい話題です。

小泉八雲の「怪談」を原文でと、千葉の方から個人依頼がきました。英語の勉強がしたいので、ゆっくりと読んでほしい。できれば英語の堪能な人にお願いしたいと。海外での滞在経験がある方たちのグループが都内にあります。早速に引き受けてくださいました。

私たちがまだ準備会を立ち上げたばかりの頃、新聞にとりあげられた時に連絡をしてきてくださったグループです。まさにネットワークです。

私はこの題名に遠い昔にタイムスリップしてしまいました。田舎の高校時代、進学組の生徒に夏休み返上で補修授業が行なわれました。その時の英語の教材が「怪談」だったのです。わかりやすい文体ということもあったのでしょうが、睡魔にも負けずわくわくしながら和訳をしたこと、うるさい位のセミの鳴き声、先生が板書をしながら汗をふいていた白いタオル。昨日のように思い出しました。

No.49 盲学校 訪問

15日は葛飾、16日には八王子の盲学校を訪問しました。あちこちおじゃまするたびに、お忙しい中、校内の案内をしていただき感謝です。(15日鶴岡、島村・16日三浦、猪俣 同行)

まずはその場に足を運び校長先生、副校長先生、図書室の先生方と直接お話しをすることで、私たち「全国音訳ボランティアネットワーク」の活動を知っていただきたい。そして、私たちはどんなお手伝いができるのかを考えたいというのが目的のひとつです。

理療科のあるところとそうでないところとでは、ニーズが違います。医療関係の音訳というとだれもがすぐに読めるものではありません。ややもすると尻込みをしがちですが、自立のために必須なものですから、この分野の音訳活動には力を入れていかなくてはなりません。より連携プレーが重要になってくると思われます。

さて、ここで主に理療科のない学校のお話。お子さんたちに良書に親しんでもらいたいと思います。「点字をしっかり教えてほしい。その為に盲学校に入れたのだから」という保護者の考えがあり、その他の手段で読書を進めるということは現実、難しいというお話を伺いました。

一方でとても充実した図書室のある学校で過ごした全盲のA先生は「ここの録音図書のおかげで本が好きになりました。長文の小説を点字で読むことは限界があるのではないでしょうか。それぞれのリズムがありますから」とおっしゃっていましたが、とても印象に残るお話でした。

お子さんたちが耳からの読書に慣れていないということであれば、対面朗読や読み聞かせから入ってもいいのではないでしょうか。いずれにしてもそれぞれの図書室にお子さんたちが喜んで借りてくれるような録音図書が1冊でも多く並ぶようになるといいです。その為に地域のボランティアを活用していただきたいと思います。

No.48 音声ガイド付き映画鑑賞会

バリアフリー映画鑑賞推進団体「シティ・ライツ」と立教大学ボランティアセンターが共催で学生さんといっしょにに音声ガイドづくりに挑戦するという取り組みがありました。南アフリカ・ヨハネスブルクのスラムで未来のない日々を送っていた一人の少年が、生まれたばかりの小さな命に出会うことで更生していくストーリーで「ツォツィ」という映画です。2006年アカデミー賞外国語映画賞を受賞した作品です。

FMラジオで音声ガイドが聞けるというもの。まず、目で観るために作られている「映画」に解説をつけることの難しさ(台本作りの大変さに加え、活舌だとか発声、そしてそれぞれの映画の雰囲気に合う声なのか。)を感じました。しかし、学生さんがこういう取り組みに積極的に参加することの意義は大きいと思います。

今後も一人でも多くの視覚障害者が楽しく参加できる鑑賞会が開かれていくことを期待したいです。音訳者の中にもこういった「音声ガイド」の活動に熱心にとりくまれている方が何人もいます。(スタッフ同行 伊藤、大田、遠田)

No.47 昨年の鳥取での出会いが

7月1日(火)筑波大学特任教授の鳥山由子先生に私たちの活動拠点である飯田橋のボラセンにお越しいただきました。視覚障害教育に熱心にとりくまれているかたです。07年8月鳥取での全日盲研の折、ご講演を伺いました。その後、筑波大付属盲の校長先生でいらした皆川先生のお口添えをいただきました。

穏やかにではありますが熱い心を感じるお話に時のたつのも忘れて聴き入りました。「見えない人に、教える教師もまた、自身の声が頼り、音訳と同じ」とおっしゃった言葉が心に残りました。

とても平易な言葉で興味深いお話が次々と続きます。ぜひ、一人でも多くの皆様にお聞きいただければと、09年6月の総会を兼ねた全国大会の基調講演をお願いしました。先の話ですが今からとても楽しみです。ご期待ください。(スタッフ 居谷同席)

No.46 文京盲学校 学校公開へ

6月27日(金)文京盲学校の学校公開に伺いました。以前にもおじゃまして大変きれいで設備の整った学校という印象を受けた所です。

保護者や他校の先生・生徒に混じって各教室を回らせていただきました。元気な女子生徒の声が聞こえる教室、ひたすら先生の話に聞きいっている教室と様々です。

目のご不自由な先生方は、点字資料を指で追いながら、そして生徒は点字、パソコン、拡大教科書とそれぞれに合わせた学習スタイルなのが印象的でした。

理療科では予約の患者?さんを相手に先生と一緒に臨床実習を行っていました。地元のお年寄りを中心に好評のようでした。生徒さんの学習環境を学ぶいい機会となりました。ありがとうございました。

No.45 毎日新聞社へ

6月17日、毎日新聞社に岩下恭士(やすし)さんを訪ねました。デジタルメディア局ユニバーサロン編集長として頑張っていらっしゃる視覚障害者です。利用者のニーズ、当ネットワークの今後の課題等について話し合いました。

社会の第一線で働く岩下さんは「はっきりものを言う」利用者として、あちこちから講演の依頼も多いようです。「せっかくできたネットワークだから焦らず、一歩一歩前進して下さい」と。

故浦口明徳さんが、かつて「ぼくの弟子だよ」と笑って紹介して下さった方です。浦口さんと同じように「継続することが大切」と言われた言葉が心に残りました。そう!「継続は力なり」またみんなで頑張りましょう。

No.44 埼玉県朗読ボランティアネットワークで

6月10日、埼玉県朗読ボランティアネットワークで 「音訳の未来を考える」利用者のニーズ・全国の情報等 ということでお話をさせていただきました。

61グループ1個人が参加しています。勉強会等はもちろんのこと、会報の発行、各グループからの申請に基づき著作権許諾の手続きを代行するなど活発な活動を続けています。

そんなネットワークの会員の皆さんに、利用者のニーズが多様化していること、なかでも生活情報や専門情報を必要としているというようなことをお話ししました。

単独の活動ではなく協力しあうことの大切さを訴えました。「目からウロコです」と言われましたが何かを考えるきっかけになって下さったら嬉しいです。熱心に耳を傾けてくださった皆さんありがとうございました。

No.43 視覚障害を持つ医療従事者の会

7日の「医療関係の音訳を考える」シンポジウムが無事終了した翌8日、視覚障害を持つ医療従事者の会(ゆいまーる)発足記念講演会に参加しました。会員はまだ10人にも満たないようでしたが、高知や大阪からも参加していました。

中でも医科大在学中に四肢障害の上、失明した守田さん母子の体験談は思わず涙がでました。守田さんの下宿に住み込み介助をしながら夢を支え続けたお母さんがいらしたからこそ現在があるのだと思いました。

「私がいなくなったらどうなるのだろう」と声をつまらせていました。90分テープが700本にもなったと伺いました。身近に音訳ボランティアが居ることをあまりご存知なかったようです。

はからずも、ここでまた医療関係の情報が欲しい方にお会いしました。少しでもお役に立てればと強く思いました。尚、守田さんは現在、関西医科大学精神神経科の医師としてがんばっておられます。