18日朝、東京から新幹線で仙台に向かいました。仙台駅で「日本盲人福祉委員会」震災対策本部の加藤俊和事務局長、仙台朗読奉仕の会の長久保明美さんと合流しました。長久保さんは、音ボラネットの総会の折、ぜひ地元のみなさんにもご一緒していただきたいと言う私の呼び掛けに答えてくださった方です。
彼女のお薦めで地元の駅弁を買い、レンタカーで移動です。日本三景のひとつ、松島で海を眺めながら、お弁当をいただきました。復活した遊覧船が行き交い、若者がヨットを楽しんでいます。地震とか津波の影響は、初めて訪れた私には、ほとんどわかりません。同じ松島でも、東松島とは、雲泥の差だそうです。
一泊二日で2つの避難所を回るスケジュールです。時間的余裕がありません。しかし、被害の大きかった野蒜地区を、ぜひ通ってほしいという長久保さんの提案があり、立ち寄らせていだだきました。言葉がでません。
瓦礫はだいぶ片付けられ、一ヶ所にまとめられたりしている所もあります。かろうじて土台だけ残っているので、家があった場所だとわかります。かと思うと、遠目に数軒の家が立っています。近づくと中はめちゃめちゃ、津波が家の中を通り抜けたのです。カーテンが風に揺れていました。異様な光景です。ここの住人は、無事だったのでしょうか。
途中にも、片付けられて一見グランドのようにみえる所がありました。集落の跡だそうです。赤茶けた大地にポツポツ緑が見えます。雑草です。高速道路も、あちこち亀裂が入り、段差ができていて、車がボンボン跳ねます。ETC1000円割引が19日までだったこともあり、渋滞していました。大分、佐世保、京都、姫路、大阪あらゆる所からの車です。
18日は、石巻市内で百か日法要が営まれるため、私たちの予定も変わりました。
まず、ビッグバンに向かいました。そして、初日は建物の確認とチラシ配りということになりました。目的地のひとつ河北総合センター(ビッグバン)は400席もある、ホールがあり、毎日のようにイベントが目白押し。例えば掲示板には、各種炊き出し、マグロの解体ショー、歌謡ショー、カットボランティア等々のポスターやチラシが所狭しと貼ってあります。私たちの「復興支援イベント」のチラシも掲示されていました。
こちらには、未だ400人近い方々が、不自由な生活を送っています。事前に責任者の方に伺ったところ、館内はスリッパ等に履き替えなくてもよい、チラシ等は、被災者のみなさんは、ほとんど「部屋」にいるので、入っていって配ってよい、と言われていました。
玄関をはいり、居住区域にスニーカーのまま足を踏み入れようとして、わたしは前に進めなくなりました。足が動かないのです。被災者のみなさんへの想像力を働かせ、心に寄り添わなくては、お話など伺えません。